お客さまの声コラム
【住まい日和】 記憶の家
「新しい実家に建て替える」
実家とはずっとあるものだと思っていた。
父が亡くなっていよいよ母ひとりで住むことになった築75年45坪の古い家での暮らしは母にとってはあまりに過酷だった。
昔ながらの家は地震がこれば大きく揺れ、冬は寒く、夏は暑い、があたりまえの家だった。
そして何よりここは母のための家ではなかった。
25歳で嫁いできて45年、母の要望があったわけではなく、ここは常によその家だった。
そこで母のためのもっと小さな平屋に建て替えることにした。
「家がもつ記憶」
通称:厨子(つし)二階ともよばれるカタチはどこにでもあるような普通の家。
昔ながらの8畳一間がつづく田の字型プランと言われる45坪の日本古来の民家であった。
周辺環境から奇をてらうわけでもなく、平凡かつ普遍的な形は家族のカタチをよく表している。
南側一面に大きな開口部と玄関、軒の張り出た姿は今思うと昔ながらのパッシブデザインだった。
「生まれ変わるための準備」
めったに上がることのない屋根裏は土壁に囲まれて、見事にきれいな地松の梁が組まれていた。
日の目を浴びることはないがひっそりとまたしっかりと長年家の構造を保ち続けてきた姿にはなんともいえない風格が漂っていた。
建替えるうえで何かよい手掛かりになるのでは。
「解体という非情な時間」
75年という長い年月を経た姿は7日間足らずで思いのほかあっけなく消えた。
壊れるのはいつでも一瞬だ。
「引き継がれる記憶」
解体時なんとか救出した2本の梁。
これからプレカット工場に搬入して磨き、加工を加えて新たな魂を吹き込む。
「ハレノヒ上棟日和」
上棟日は良く晴れた。
磨かれた古い梁はベールに包まれたまま現場にて組み上げられていく。
加工場で磨いていく中で、実はこの古い梁が2代目だったこと(つまりは今回で3代目)がわかった。
家族にも伝えられてなかったが、100歳超えのこの梁はある意味で家族以上の存在だった。
「新しい生活のはじまり」
なんだかんだで工事は順調に進み、なんとか年越しまでに新しい家に住みたいという願いは叶った。
母の新しい生活がはじまるとともに、私にとっての新しい実家もはじまった。
母ひとりが無駄なく暮らせるように、少しゆとりを持たせた20坪の平屋。
基本の天井高さ2200mmは小柄な母によく似合っている。
生まれ変わった梁も空間にいいアクセントを与えている。
「カタチの記憶」
ふとした瞬間に懐かしさを感じられるようにしたい。
そんな想いから元の実家の縁側や軒下の空間そんなモチーフを現代的に再現した。
冬でも部屋の奥まですっと光が届く暖かく柔らかい空間はありふれてはいるもののいつまでも飽きのこない空間だと思う。
「母の原風景をふりかえる」
母の実家は葡萄農家だった。
どこにでもある葡萄畑の光景は、屋外だけど領域を持った半透明な空間で、それが母の原風景だった。
「人の性格が家をつくる」
とにかくオープンな母である。
外とも中とも言えない中間領域はまさに母の人との間合いそのもので、どんな人でも拒むことない間口の緩やかそのもの。
原風景を振り返り、そんな家とも公民館ともカフェとも言えなくもないある種の擬人化された空間ができあがった。
「空気の違いを感じる」
“家じゅうどこでもあったかい”
“冬でも上着を羽織ることがなくなって身軽になったし、肩が楽になった”
“どこに行くにもすっと行けて動きやすい”
と概ね満足気。
書きものが多く机に向かうのが日課な母にとって、デスクカウンターから窓越しに見えるイロハモミジがお気に入りのよう。
「新しい実家のはじまり」
実家が戻ってきた。
姿カタチは違えど、不思議とそう思えた。
また、新しい暮らしがはじまった。
住み替えてなお家族のよろこびが増えていく。
それも住まい日和。
[建築概要]
2024年建替(1949年・築75年)
敷地面積 229.98㎡(69.57坪)
建築面積 148.76㎡(45.00坪)➡78.67㎡(23.79坪)
延床面積 148.76㎡(45.00坪)➡66.25㎡(20.04坪)
UA値:測定不能➡0.42W/㎡K
C値:測定不能➡0.3㎠/㎡